首塚稲荷神社(くびつかいなりじんじゃ)
御祭神:宇迦之御魂神。
当神社の創建時期は不明。元は式内社「草薙神社」の境内摂社で、日本武尊東征の折、この地で地方豪族と戦ったときの戦死者の首を埋めた塚であるといい、北側の谷に流れる小川を「血流川」という、とされる。
しかし、「首塚」と称するのには、他にも2つの説がある。1つは、正治2年(1200年)、梶原景時が大内山で戦死した際、乗っていた名馬「磨墨」の首がこの地に飛んできた。
また1つは、文明8年(1476年)、今川義忠(今川氏7代目)が急死すると、今川氏親(義忠の子、後の今川氏8代目)とその従兄弟の小鹿範満の2派に分かれて跡目争いが起きた。
このとき、有度山東麓を本拠とした矢部一族は小鹿範満に味方して戦ったが敗れ、戦死した遺骨がおびただしく散らばった。
これを村民が集めて埋葬し、付近に野狐が多かったことから、稲荷社を勧請して祀ったとする。
お天気の良い日であれば、ここに富士山がど~んと見えるのですが...
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